2012年5月27日日曜日

書評 高橋昌一郎『感性の限界』(講談社現代新書)

『理性の限界』『知性の限界』に続く、限界シリーズの三作目。前二作と同様、仮想シンポジウムという形式で話は進められる。さまざまなジャンルの専門家が入れ替わり立ち替わり会話に参加し、それぞれの専門分野の知見を紹介することにより、読者に現在の哲学、心理学、認知科学などの最新情報を伝える。

 第一作からそうなのだが、これが非常に分かりやすい。現在の最新の話題が、素人にも分かるように優しく語られる。哲学、心理学、認知科学などの分野の最先端の話題をサッと見渡すのに、本書以上に適した本はないだろう。
 シンポジウム形式なので、話題が散漫になりがちで、系統立てた知識を得るのは難しいが、そのような勉強がしたい人は教科書を読めばよい。

 今回は『感性の限界』ということで、「行為の限界」「意志の限界」「存在の限界」の三つのテーマについて仮想のシンポジウムが行われる。
 私が非常に興味深かったのは、人間の脳のシステムには「自律的システム」と「分析的システム」の二つがあるという説だ。この説は、現在のところかなり受け入れられているらしい。
 平たく言えば「自律的システム」は本能的に情報を処理するシステムで、一方の「分析的システム」は理性的に情報を処理するシステムである。たとえば夜の公園で草陰がガサガサと揺れたとすると「怖っ」と感じてしまう。これが自律的システムによる情報処理である。肉食動物に襲われるのを避けるという、太古から受け継がれた感覚がいまだに人間を支配しているのだ。
 しかしそこで
「現在の日本に大型肉食動物が放し飼いになっているなんてことはあり得ない。大丈夫」
と判断を下すのが「分析的システム」である。
「私は合理的な人間だから、分析的システムがかなり勝っているんだろうなあ」
と思う方も多いだろう。しかし現実はそうではない。人間という動物がいかに非合理的か、本書を読めばよく分かる。たとえば、自分の唾液をコップに溜めて、それをグイグイと飲めるだろうか。それが躊躇なくできる人は、かなり合理的といってよいかもしれない。

 この手の分野の本を読むといつも思うことだが、われわれが自我、意識、意志、個などと呼んでいるものは、思っているほど能動的なものではないらしい。悲しいかな何かに「踊らされている」もののようだ。では、何に踊らされているのか。かなり端折った言い方をすれば、つまるところそれは「遺伝子」だということになるのだろう。
 人間は、少なくとも現在のところは、かなりの部分、遺伝子の入れ物に過ぎないらしい。今後、理性や知性や感性の力でその壁を乗り越えられるのか、それともその壁は決して乗り越えられないものなのか。文明が始まってから約4000年。答えが出るのはまだまだ先のようだ。



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