この対局についてあまりご存じない方のために、まずはこの対局の意味を簡単に説明しておきたい。
将棋ソフトの存在はみなさんご存じだろう。ひと昔前までは、アマチュアレベルでも物足りないようなレベルでしかなく、将棋を覚え立ての素人が暇つぶしにやる程度のものだった。
しかし、この10年ほどのレベルアップには驚くべきものがあり、ついにはプロのレベルに迫ってきた。ハード/ソフト両方のレベルが向上し、さらにその相乗効果もあったのだろう。将棋のルールを知っている人は、試しに1000円のソフトを買って対局してみてほしい。日常的に将棋を指している人でなければ、おそらくコテンパンにやられてしまうだろう。
そこで将棋連盟会長である米長さんは、プロとコンピュータが公式の場で無断で対局することを禁止した。コンピュータと棋士の対局も、将棋連盟の管轄下においたわけである。そこにはいろいろな思惑があっただろうが、私が勝手に想像するところでは
「人間vs人間とは全く違う戦いになる」
という考えがあったのだろうと思う。
そして、ここが米長さんの面白いところ(ちょっと策を弄しすぎな感もあるが)なのだが、自分がコンピュータと対局する方向へ話を持っていく。そこから、対局へ至るまでの日々、および対局そのものを振り返ったのが本書というわけだ。
前置きが長くなってしまったが、本書の背景は理解していただけただろうか。
本書を読んで感じたことをひと言で表すなら「人とコンピュータの対局は、新しい文化を生み出すだろう」ということだ。
「コンピュータを相手に人間が将棋を指しても、無機質な戦いにしかならないんじゃないの?」
と感じる人も多いだろうが、おそらくそれは間違いだ。何がどう間違っているのか、それが書いてあるのが本書である。それを示している部分を一つ引用しておこう。
実はこのコラム(週刊誌の記事)を書くに先立って、私(米長さん)は羽生善治に会い、コンピュータ将棋についてどう考えているか、話を聞きました。もしも、どうしてもコンピュータと対局しなければならないとしたら、どういう条件で、どのように準備をするのか。そう尋ねると羽生は、
「もしもコンピュータとどうしても戦わなければならないとすれば、私はまず、人間と戦うすべての棋戦を欠場します。そして、一年かけて、対戦相手であるコンピュータを研究し、対策を立てます。自分なりにやるべきことをやったうえで、対戦したいと思います」
というわけだ。相手がコンピュータであろうと人間であろうと、対策を練り、準備を整え、精神を集中してそれと戦うところには、必ずや新しい何かが生まれるはずだ。それは文化の一つなのだと私は思う。
今回、コンピュータに対して研究を重ね、ある意味、人生をかけて対局したのが米長さんである。そのドラマが面白くないわけがない。将棋やコンピュータに興味がない方でも楽しめる本だと思う。
最後に、コンピュータvs人間の将棋の対局について、私見を述べておきたい。
ほぼ間違いなく、近いうちに人間はコンピュータに勝てなくなるだろう。オセロやチェスと同様の未知を同様の道をたどるというわけだ。しかしこれは「コンピュータの勝ち」と言い切るべきものではない。なぜなら現状は、「コンピュータvs人間」というよりも「コンピュータと人間の合同チームvs人間」という図式になっているからだ。コンピュータソフトは、人間が作り出してきた過去の歴史である膨大な棋譜をインプットし、人間の差し方を分析・学習し、そのうえで次の一手を考え出している。いわば、人間のやり方を模倣して思考しているのだ。言い方を変えれば、まだまだソフトの開発者の棋力によるところが大きいといえるのではないか。
本当にコンピュータが人間に勝ったと言えるのは、たとえば将棋の「ルールだけ」をコンピュータに教え、そこから差し手を考えるようなソフトが人間に勝ったときではないだろうか。それが実現するのがいつになるのかは想像もつかないが、そのときはいまの定石とはまったく違った展開の対局が行われるだろう。それはそれで、ワクワクする未来である。
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