2019~20シーズンのフルマラソン初戦は大阪マラソン。初めての出場だ。昨年のあいの土山マラソンで頑張った甲斐があり、市民アスリート枠で申し込めた。目標は3時間5分。
当日は母(おばあちゃん)、妻(お母さん)、娘(小6)の親子三代の大応援団の声援を受けることができた。こんな恵まれたランナーはめったにいないだろう。
◆前日受付◆
受付は南港のインテックス大阪。娘がついてきてくれた。ありがたい話だ。
会場に着くと、なんと長蛇の列。受付が済むまでに1時間近くかかったのはげんなり。3万人規模の大会だと仕方ないのだろうか…。
長蛇の列。郵送できないのかなあ…
その後はもちろんエキスポ会場へ強制誘導。こちらもかなりの混雑で、早く抜け出したくて仕方なかった。
「珍しいブースもあるし、楽しいで」
と娘を誘う口実にしていたのに、アテが外れた。娘よ、すみません。息子の土産にスポーツ羊羹とジェルを買い、会場を後に。
昼食はブースの太宰府八ちゃんラーメンを食べた。お腹が減っていたのか、娘もツルツルと完食。
前日受付は半日仕事だ。必要なものは郵送してほしいが、スポンサーのブースに客を呼ばないといけないし、無理なのかなあ。エキスポは自由参加にするのがランナーズファーストだけど、そうもいかないのだろうねえ…。
九州ラーメンを食べた
もちろん細麺ストレート
◆当日までの調整とレースプラン◆
2週間前までは、距離も強度も落とさず、練習を積んだ。15日前に20 kmをレースペース(4:15~20)で走り、そこからは距離を落とした。
14~8日前の週は福岡出張。50分程度のジョグを数回走り、400 m×10本を1回入れた。走行距離が70 kmを超え、ちょっと走りすぎたかも。
8日前に10 kmを41分で走って刺激を入れた。最終週は30分のジョグを2回やり、2日前に1 km×2本を走って調整終了。うまくテーパリングできただろうか。
レースプランは、キロ4:15~20のペースで押していき、行けるところまで行くというもの。あわよくば後半はペースアップしたいが、たぶん無理。どこまでペースを維持できるか。
◆大阪城公園へ出発◆
朝食はきゅうり、ご飯、おでん、鰤の照り焼き。しっかり食べた。スタート2時間前におにぎりを、1時間前にバナナを、30分前にゼリーを摂取した。
家の最寄り駅でトイレに行ったが、大きいほうはあまり出なかった。無理に出そうとしなくてもよかったかもしれない。
大阪城公園で降りて会場へ。忘れ物のないように荷物を預けるところまではスムーズだった。しかし、そこからスタート地点までが遠い。あらかじめ注意されていることなので分かってはいたのだが、もう少し何とかならないか。
スタート地点近くのトイレに並んだ。スタート15分前が閉鎖時刻なので、ギリギリだ。すると、私の並んだ横の列のトイレから、なかなか人が出てこない。大丈夫だろうか。スタッフに加え、ドクターが駆けつける。
「大丈夫ですか!」
というスタッフの声にも無反応。
「開けますよ!」
と声をかけてドアを開けると…中はもぬけの空(笑)。誰も入っていなかったのに、鍵が下りてしまっていたようだ。
私は時間ギリギリにトイレに入ることができ、出すものを出してスタートへ向かった。おそらく最後の一人だったと思う。大きいほうは無理に出さず、さっさとスタート地点に行ったほうがよかったかも。
◆いよいよスタート◆
Aブロックに入れてもらったのだが、上記のトイレのため、後ろのほうになってしまった。予定通り、9時に号砲。スタートラインまでのロスは1分20秒。これは想定内だったが、その後が想定外。混雑していて思うように走れないのだ。最初の1 kmは5分、次の1 kmは4分半かかってしまった。京都マラソンでもすぐに自分のペースで走れたので、これは想定していなかった。
3 km以降は自分のペースで走れるようになり、御堂筋に入る頃には混雑もなくなってきたが、このロスは痛かった。Aブロックでこれだから、後ろのほうはもっと混んだだろう。3万人が走ると仕方ないのかもしれないが、改善を望みたい。結局、最初の5 kmが最も遅く、次の5 kmが最も速いラップとなった。
◆快調な前半戦◆
4:15~20のペースを淡々と刻む。市街地で高い建物が多く、特に千日前通りは阪神高速の高架の影響か、GPSの精度が悪い。同じペース(のつもり)で走っていても、ウオッチの数字がかなり上下する。ガーミンの示す値を鵜呑みにせず、ペースを守って走った。それほど頑張らなくてもペースは維持できる。
「もしかして、後半はかなりペースアップできるかも?」
という、いつもの妄想が頭をよぎった。
◆我慢の中盤戦◆
20 kmあたりから、徐々に足に来はじめた。フルマラソンも5回目なので、「来はじめた」という気配を感じられるようになってきたのだろう。とはいえ
「息はしんどくないし、終盤はペースアップできるかも?」
と妄想できるくらいだから、まだまだ余裕だ。
20 kmと30 kmでゼリーを摂取した。30 km地点はカフェイン入り。
◆粘った後半◆
混雑した最初の5 kmを除くと、25~30 kmが最も遅いラップだった。30 km手前の坂がその原因の一つ。それに、徐々にキツくなってきて、ペースを落とすか維持するか、迷いもあった。後から思うと、この5 kmはもう少し頑張ってもよかったかもしれない。
30 kmを過ぎればキツくて当たり前。あとはどこまで粘れるかだ。30 km手前でいいペースで走っている人を見つけ、後ろについた。5 kmくらい引っ張ってもらっただろうか。こんなに長く同じ人にくっついて走ったのは初めてだ。
30 km過ぎに少し楽になった。何だったのか分からないが、たまにフッと楽になるときがある。
いつ「ガツン」と疲労が来るかと待ち構えていたが、なかなか来ない。といっても楽なわけではなく、少しずつキツくなっていく。
◆ラストは親子三代の大応援◆
35 kmで今里筋に入ってからが勝負。緩やかな登りを、どこまで粘れるか。事前に頭に入れていたのも、頑張れた一因か。
ラスト10 kmからは根性で、ラスト5 kmからは必死のパッチでペースを維持した。ラスト5 kmからは残り距離の表示も始まり「あと何キロ」と脳内カウントダウン。41 km付近で家族が待ってくれているはず。それもモチベーションアップにつながった。
40 km手前で城見通りに入ると、OBPが見えてくる。いよいよ最後の力を出すときだが、簡単に出れば苦労しない。何とか足を動かして京橋へ向かう。39~41 kmはペースが落ちた。
40 kmを過ぎ、高架をくぐってツインタワーへ。家族がいるはずだが…と探すと、OBPを過ぎたあたりで妻を発見。娘と母は分からなかったが、向こうはこっちを確認できたらしい。家族を見つけるのに意識がいって、しんどさを少し忘れられたのは思わぬ応援効果だった(笑)。
親子三代の応援のパワーをもらい、ラストスパート。最後の1 kmは再び加速でき、大阪城でフィニッシュ! ネット3時間1分30秒、グロス3時間3分で見事に目標と自己ベストを達成。家族には
「1分半くらい何とかならへんかったん」
と言われたが、この1分半が簡単ではないんですよ…。
◆家族と合流◆
ゴール後はスタッフやボランティアのみなさんが「完走おめでとう!」「ナイスラン!」とハイタッチをしてくれたり、完走のタオルをかけてくれたり、盛り上げてくれた。ありがたいことだ。
軽く体をほぐしてホテルニューオータニで家族と合流。母に中華料理をご馳走になり、娘と妻も舌鼓を打った。応援に来てもらったうえに、ありがとうございました。
実は、結婚式を挙げたのがこのホテルなのだ。懐かしい。
◆まとめ◆
4:15~20のペースで、ほぼイーブンで走り切れた。ちょうど、実力にあったペース設定だったのかもしれない。昨年の土山マラソンでは、30 kmあたりで急に「ガツン」と疲労が来たが、今回は徐々に来た感じだった。
スタート直後のロスがなければ、もう少しタイムは縮まったかも。サブ3がいよいよ見えてきた。
次のフルマラソンは、2020年3月1日の丹波篠山マラソンの予定。初めてサブ3を目標に走ることになりそうだ。怪我をせず練習を積み、キロあたり2~3秒を上積みして、目標を達成したいものだ。
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