2016年9月13日火曜日

【映画評】『パルプ・フィクション』(1994)

小説でも演劇でも表現できない、まさに映画のためのストーリー構成とプロット


 日経新聞ウェブサイトで『イレブン・ミニッツ』という映画が紹介されており、興味をそそられたので観にいった。その紹介文の中にこの『パルプ・フィクション』が言及されていたので、ついでにこちらも鑑賞した。なるほど、よく似ている。

 『パルプ・フィクション』は、奇才、Q. タランティーノ監督の代表作の一つ。タランティーノ映画の構成の妙は言わずもがなだが、その原点がこの映画なのかもしれない。息をつかせぬ展開と、時間を行きつ戻りつする細切れの逸話、その背後に感じる妙な違和感、そしてそれらが収束して一気に片づくラストシーン。なるほど、最後にここに戻ってくるとは全くしてやられた。
 文章や舞台では、この構成の妙はなかなか伝わらないだろう。小説でも演劇でも表現できない、まさに映画のためのストーリー構成とプロット。

《あらすじ》
 冒頭から大波乱。ちょっとイカれたカップルが、いきなり強盗を働く。急に場面は切り替わり、白人と黒人のギャングコンビに視点が移る。その後もギャングのボス、その妻、引退間際のボクサーとその彼女など、次々と一人称が変わり、関係なさそうで関係ありそうな細切れの話が数編語られる。このそれぞれ単独でもそれなりに面白いのだが、これらが「関係なさそうで、ありそう」なのが本作のキモ。最後はすべての話が収束し、あっと驚くラストシーンへ。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿

【読書メモ】湊かなえ『残照の頂 続・山女日記』(幻冬舎文庫)

 ブラックではない湊作品として話題になった『山女日記』の続編。前作よりもさらにパワーアップして帰ってきたと思ったのは私だけではないだろう。  山女とは山に登る女子のこと。要するに山ガールだ。湊氏お得意の、一人称を変えながら話を進める手法で、さまざまな山女たちが、山に登って人生を...