古来、桓武天皇の時代から、京都には狸と天狗がおり、人間に混じって生活しているのだという。そのうち、下鴨の糺の森に暮らす狸一家の物語だ。
主人公は下鴨矢三郎という狸。亡き父の残した四兄弟の三男坊である。そこに、個性豊かな天狗や人間が絡み合い、チャンチャンバラバラの大活劇を繰り広げる。
下鴨一家の師匠である赤玉先生は、かつての大天狗の面影もなく、プライドばかり高い偏屈な天狗となっている。その赤玉先生にさらわれて、人間から天狗に育てられたのが、弁天という超絶妖艶天狗。このクールなエロティックさには、私もKOされた(おいおい)。さらに、下鴨家のライバルである夷川家が、京都の狸界を牛耳ろうと策を巡らす。
これらの主要登場人物(狸?)が、みなキャラが立っている。マジメな狸もいれば、阿呆な狸、腹黒い狸もいる。でも、よく考えてみれば、これって人間界も同じかも?…
弱い立場の者たちが、強者からの圧力など意に介さず、生きたいように生き、大暴れするという構図が、夏目漱石の『坊ちゃん』を連想させた。「狸」という言葉がそうさせたのかもしれない。
森見氏は京大農学部出身の小説家ということは知っていたのだが、初めて著書を読んでそれも納得。京都のちょっと隠れた魅力が伝わってくる作品だった。外部から京都を見る、ガイドブック的視点では作れない作風だろう。長年、実際に京都に接してきたからこそ書ける、ディープな京都を垣間見させてくれる。またそれが
「これが本当の京都なんどす」
と、押しつけがましく語られるわけではない。東華菜館や出町柳商店街など、京都に暮らす人には「!」と来る場所が絶妙のタイミングで登場するのがニクい。
京都好きの人はもちろんだが、京都に住む人にもぜひ読んでもらいたい。
ちなみに私の上司は、大学入学時に東北地方から京都に出てきて以来、40年以上京都で生活している。その上司が
「森見登美彦はええぞ~。お前らも読め」
と、飲む度に勧めてくるワケがよく分かった。
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