3月に転職してから約2カ月が経った。ようやく余裕が出てきたので、経緯をまとめておく。
◆転職決断まで◆
前の会社には20年以上勤務していて、定年までいるつもりだった。しかし、新規事業が大コケして、業績が急降下。「♪まっさかさーまーにー」な急転落ぶりだった。
業績が悪くなると、社長の機嫌も悪くなり、パワハラも横行しはじめた。社長の独断で始めた新規事業が失敗した責任をとる姿勢も見られず、社員のやる気も「♪まっさかさーまーにー」落ちていった。
そして、2024年の5月に「夏期賞与なし」が発表された。さらには、期末の8月に「君の基本給を下げようと思ってる」と脅されたときに、転職活動をはじめることを決断した(結局は下げられなかったのだけど)。
◆転職活動◆
最初は関西圏で転職先を探したが、数が少ない。これはいかんと、単身赴任覚悟で希望勤務地は全国に広げた。しかし、書類での落選が続き、「50代の転職はやはり無理か…」という気持ちになってきた。
このタイミングで、エージェントサービスを使ってみようと思い立った。担当のエージェントは若いお兄ちゃんで、正直、それほど親身に世話してくれたわけではない。しかし「50代でも大丈夫」という言葉には勇気づけられたし、「とにかくたくさん応募して、詳細は書類が通過してからじっくり考えればよい」というアドバイスは役に立った。「書類も通過してないのに、通った後のこととか想像してる人がいるんですよねえ。その前に、まずは書類が通らないと」と指摘され「それ、おれのことやん」と目から鱗状態だった…。
それまでは「転職先をちゃんと見極めなくては」という気持ちが強く、慎重に応募していたが、そこからは、スキルを生かせて年収が見合うところにはどんどん応募した。そして、12月に初めて書類が通って、面接に進んだ。転職活動開始から約5カ月だった。その間、職務経歴書を何度か書き直したりして、自分を見つめ直すよい機会になったような。長かったが無駄な遠回りではなかったように思う。
そして、その後すぐに、また別の会社も書類選考を通過した。
また、冬期賞与の発表は転職活動中だった。いったんは「冬期賞与もナシな」だったのが撤回されたのはよかったが、支給額は5万円…。今年の年収は、ピークから比べると20%ほどのマイナスになりそうだ。転職したい気持ちがさらに強くなった出来事だった。
◆転職決定◆
面接に進んだ二社は、どちらもとんとん拍子に進んだ。一社からは12月半ばに、もう一社からは仕事納めの日に内定をもらった。エージェントから「書類通過が最大の難関です」と聞いていた通りだった。
「あなたと一緒に働きたいです」という言葉は、リップサービスが混じっていても、嬉しいものだ。弱っていた心を元気にしてもらった。
最終的には、2つ目に内定をもらった会社への転職を決めた。年末に家族や親しい同僚には報告し、仕事始めの日に社長に退職を告げた。
◆家族の反応◆
転職活動をしていることは、家族には伝えていなかった。「結局、転職しない」というオチになったときに、かっこ悪いのと、不安を与えることを避けるためだった。
転職したいと話すと、驚いてはいたが、特に反対はなかった。会社が危ういことは伝えていたからだろう。
単身赴任についても大きな反対や心配はなかった。娘が
「お父さん、洗濯はどうすんの?」
と聞いてくるので、心配してくれているのかと思ったら
「そうじゃなくて、いまお父さんがこの家でやってる洗濯は、誰がすんの? まさか、全部わたしに降りかかってくるわけ?(怒)」
と自分のことを心配している始末…。息子も妻も
息子「おれの野球の父当番、誰がすんの?」
妻「それって、家事ワンオペってこと?」
と、みんな自分の心配に忙しいようで、父の1人暮らしの心配など、誰もしてくれないのだった…。
◆新生活準備◆
1人暮らしの費用はなるべく安く抑えたい。それには家賃をいかに下げるかが重要だ。検索したら、安い物件は出てくるが、そういうとこに決めてよいのか不安だ。安いにはそれなりの理由があるのだろうが、それは知ったうえで決めたい。
困っていたところに、義弟(妹の夫)が知り合いの不動産屋さんを紹介してくれた。この人が
「安い物件は理由がある。その理由がよくわからない物件はやめておきましょう」
というスタンスで、物件を絞り込んでくれた。この人のお眼鏡にかなう物件はものすごく少なく(ハードルが高い)、結局、この人が管理する物件に決めた。自分の管理する物件なら、安い理由もちゃんとわかっているので、お勧めできるということだし、こっちとしてもそのほうが安心だ。
引っ越しには、業者は使わず、宅配便でダンボール10個を送った。また、前の会社の東京事務所がちょうど閉鎖になり、不要物をいただけたのは超ラッキーだった。不動産屋さんといい、人の縁に恵まれてますなあ。ありがとうございます。
◆転職先◆
新しい職場は人間関係も就労環境もホワイトで、暖かく受け入れてもらえた。特に、社長直々に単身赴任への対応をしていただけたのは、たいへんありがたく、頑張ろうという気持ちになった。定年まで時間は短いが、何か残せればと思う。
人間関係や勤怠についてはホワイトだが、その代わりオンタイムの縛りはまあまあ厳しい。メリハリがあって、よいのかな。
◆まとめ◆
新生活が始まって、はや2カ月。ようやくブログを書く余裕も出てきた。自炊もランニングもペースがつかめてきて、先日は10 kmの大会にも出た。東京でのランニングについては、また別にまとめたい。
会社の配慮で、GWを含めて半月間、滋賀で過ごすことができる。ありがたいことだ。

にほんブログ村
それまでは「転職先をちゃんと見極めなくては」という気持ちが強く、慎重に応募していたが、そこからは、スキルを生かせて年収が見合うところにはどんどん応募した。そして、12月に初めて書類が通って、面接に進んだ。転職活動開始から約5カ月だった。その間、職務経歴書を何度か書き直したりして、自分を見つめ直すよい機会になったような。長かったが無駄な遠回りではなかったように思う。
そして、その後すぐに、また別の会社も書類選考を通過した。
また、冬期賞与の発表は転職活動中だった。いったんは「冬期賞与もナシな」だったのが撤回されたのはよかったが、支給額は5万円…。今年の年収は、ピークから比べると20%ほどのマイナスになりそうだ。転職したい気持ちがさらに強くなった出来事だった。
◆転職決定◆
面接に進んだ二社は、どちらもとんとん拍子に進んだ。一社からは12月半ばに、もう一社からは仕事納めの日に内定をもらった。エージェントから「書類通過が最大の難関です」と聞いていた通りだった。
「あなたと一緒に働きたいです」という言葉は、リップサービスが混じっていても、嬉しいものだ。弱っていた心を元気にしてもらった。
最終的には、2つ目に内定をもらった会社への転職を決めた。年末に家族や親しい同僚には報告し、仕事始めの日に社長に退職を告げた。
◆家族の反応◆
転職活動をしていることは、家族には伝えていなかった。「結局、転職しない」というオチになったときに、かっこ悪いのと、不安を与えることを避けるためだった。
転職したいと話すと、驚いてはいたが、特に反対はなかった。会社が危ういことは伝えていたからだろう。
単身赴任についても大きな反対や心配はなかった。娘が
「お父さん、洗濯はどうすんの?」
と聞いてくるので、心配してくれているのかと思ったら
「そうじゃなくて、いまお父さんがこの家でやってる洗濯は、誰がすんの? まさか、全部わたしに降りかかってくるわけ?(怒)」
と自分のことを心配している始末…。息子も妻も
息子「おれの野球の父当番、誰がすんの?」
妻「それって、家事ワンオペってこと?」
と、みんな自分の心配に忙しいようで、父の1人暮らしの心配など、誰もしてくれないのだった…。
◆新生活準備◆
1人暮らしの費用はなるべく安く抑えたい。それには家賃をいかに下げるかが重要だ。検索したら、安い物件は出てくるが、そういうとこに決めてよいのか不安だ。安いにはそれなりの理由があるのだろうが、それは知ったうえで決めたい。
困っていたところに、義弟(妹の夫)が知り合いの不動産屋さんを紹介してくれた。この人が
「安い物件は理由がある。その理由がよくわからない物件はやめておきましょう」
というスタンスで、物件を絞り込んでくれた。この人のお眼鏡にかなう物件はものすごく少なく(ハードルが高い)、結局、この人が管理する物件に決めた。自分の管理する物件なら、安い理由もちゃんとわかっているので、お勧めできるということだし、こっちとしてもそのほうが安心だ。
引っ越しには、業者は使わず、宅配便でダンボール10個を送った。また、前の会社の東京事務所がちょうど閉鎖になり、不要物をいただけたのは超ラッキーだった。不動産屋さんといい、人の縁に恵まれてますなあ。ありがとうございます。
◆転職先◆
新しい職場は人間関係も就労環境もホワイトで、暖かく受け入れてもらえた。特に、社長直々に単身赴任への対応をしていただけたのは、たいへんありがたく、頑張ろうという気持ちになった。定年まで時間は短いが、何か残せればと思う。
人間関係や勤怠についてはホワイトだが、その代わりオンタイムの縛りはまあまあ厳しい。メリハリがあって、よいのかな。
◆まとめ◆
新生活が始まって、はや2カ月。ようやくブログを書く余裕も出てきた。自炊もランニングもペースがつかめてきて、先日は10 kmの大会にも出た。東京でのランニングについては、また別にまとめたい。
会社の配慮で、GWを含めて半月間、滋賀で過ごすことができる。ありがたいことだ。
にほんブログ村