2025年8月5日火曜日

【50歳を過ぎて人生初の手術・全身麻酔】唾石摘出術を受けました

 53歳目前の2025年7月末に、人生で初めて全身麻酔の手術を受けた。その顛末をまとめておく。

◆唾石発見◆
 転職を控えた今年(2025年)の2月に、行きつけの歯医者さんからクリーニングの案内が来た。東京に転職する前に、挨拶をかねて訪れたら、歯科衛生士のお姉さんに
「前回からもう10年以上経ちますので、久しぶりにレントゲンを撮りましょう」
と提案されたのでパシャリ。すると先生が出てきて
「かなり大きい物が写ってます。おそらく唾石だと思います。こんなに大きいのは珍しいんですが違和感ないですか? 紹介状を書きますので、口腔外科で診てもらってください」
とのこと。このときは、口腔外科に紹介っていっても、ちょっと切って取り除くだけだろと思っていた。

◆唾石とはなんぞや◆
 ところで唾石とは、唾液が石灰化したものである。それが顎下腺にコロンと存在しているのだ。別に不具合はないので、そのままにしておいてもよさそうなのだが、動き出して唾液の通り道をふさいだりすると、炎症が生じたり、痛みが出たりする。結石と似たようなものらしい。
 不具合が出てから緊急手術をするよりも、予定を立てて取り除くほうが安心・安全なのだそうだ。そりゃそうやわな。

◆手術決定◆
 東京へ移った後、口腔外科を受診してCTを撮った結果、やはり唾石であることと、顎下腺内に存在することが確定した。ここまで診てもらった歯医者さん全員が
「こんなに大きいのは珍しいんですが違和感ないですか? 取ったほうがよいと思いますけどねえ」
という意見。じゃあ、取ってもらおうと決断したら
「わかりました。では3泊4日で入院してもらいますね」
とキタ。えっ、摘出のメリットやデメリットはお聞きしましたが、3泊4日とは聞いてないんですけど? 日帰り手術くらいを想定していたので面食らったが、いまさら「じゃあやめます」と言えるほど図太くないので、手術することが決定してしまった…。
 まさか、医療費を稼ぐために騙されてないよなと思って、帰って調べてみたら、唾石摘出術では、3泊4日はふつうで、1週間入院することもあるらしい。意外に大ごとになってしまったなあ。

◆いざ入院◆
 手術前日の朝に入院。朝は手続きだけで、お昼ご飯は最後の晩餐(昼餐?)で外食できるかもとか思っていたら、そのまま入院で外出禁止だった…。
 その日は、説明や問診を受けて終了。暇をもてあまさなかったのは、私用のPCとスマホ、会社のPCとスマホの、4台の機器を持ち込んでいたためだろう。
 できる仕事をぼちぼちやって、家族と連絡をとって、晩ご飯を食べて、野球中継を見ていたら消灯時間。こんな早い時間から寝られるかなあと思っていたら、ぐっすりとはいかなくても、それなりに眠れた。

◆手術当日◆
 私の手術はこの日の2番目で、午後2時ごろからの予定だが、1番目が長引くかもしれないと聞いていた。朝・昼は絶食で、昼前からは飲み物もNG。緊張のため、空腹感はないが喉の渇きはあり、水分は取ってないのにトイレは何回も行った。
 午前は、前日同様できる仕事をぼちぼちやって、午後は読書。それなりに緊張したが、仕事も読書も普通にできた。前の手術が案の定やや長引いて、待たされている間に、早く手術してほしいという前向き(?)な気持ちが出てきたのは思わぬ効果だったかもしれない。
 ちょうど持ってきた本を読み終えたところで、準備に入った。全身麻酔を受けても、本の内容を覚えているだろうか。

◆いよいよ手術◆
 最後の確認をして、歩いて手術室へ入る。私ひとりの簡単な手術のために、歯科医が3名、麻酔医が1名(2名?)、看護師が数名ついてくれる。そりゃ高くつくわな。
 手の甲から点滴をとり、酸素マスクをした後は記憶なし。大勢の人が行き来するような何の脈絡もない夢(のようなもの)を少し見たと思ったら、すっと意識が戻った。
「気がつきましたか? 手を握ってください」
と言われ、医師じゃなくて看護師さんと手を握れてラッキーやなとか思ったりしたのは麻酔の副作用だろうか(たぶん違う)。病室へ戻ったら、いくつか説明を受けて、そのまま放置されたのにはちょっと驚いたが、そんなものなのかな。
 しばらくすると尿意を催したので、ナースコールしてトイレへ。ふらつくこともなく済ませることができ、座る姿勢もとれるようになった。
 ちなみに、手術直前まで読んでいた本の内容は覚えていた。全身麻酔前の記憶が途切れることはないようだ。

◆最もつらかったとき◆
 術後しばらくは、まだ麻酔も効いていたのか、それほど痛みもなく、すぐに日常に戻れそうだと思っていた。手術が無事に済んだことを家族に伝えて、プロ野球中継を見始めたころは調子がよかった。ただ、夕ご飯を食べようと思ってトライしたが、痛くて全然無理だった。
 巨人のライデル・マルチネスが同点弾を浴びたころから、痛みが出てきた。トイレに行った反動で傷口が開いたのか、血もどんどん出てくる。その後、いったんは痛みも血も引いたのだが、次の回に巨人がサヨナラ負けを食らったころには、また痛みと血がぶり返し、寒気もしてきた。どんどん出てくる血をゴミ箱に出しながら、布団で寒さを耐えていた。痛み止めを飲んでも、なかなか効かない。ナースコールするかどうか迷っているうちに、だんだん痛みも寒気も収まってきた。いま思うと、看護師さんを呼ぶべきだったのだろう。
 23時過ぎの看護師さんの巡回のときには読書する余裕も出て、普通に話せたので、最もしんどかったのは30分くらいだったのだろうか。血も収まってきたので、寝られるかなと思って横になったら、意外に朝まで眠れた。

◆手術翌日◆
 朝食はつらかった。とにかく痛い。無理に食べなくてもよかったのかもしれないが、ちゃんと食べたいという義務感と、点滴が長引くのは避けたいという思いから、なんとか完食。食事が不自由なのは、QOLが激しく下がることを実感した。
 食事以外はそれほど困ることもなく、ぼちぼち仕事をしつつ、ストレッチしたりしながら過ごした。しかし食事が不自由なのには難儀した。まだ食べ終わってないのに
「食べ終わってますか~」
と催促されときには、ゆっくりしか食べられない自分が情けなく、泣きそうになった。心も弱っていたのだろう。
 入院前は、なんで手術の翌日に退院させてくれないのだろうと思っていたが、納得。これは、たしかにやめとくほうがええわ。

◆やっと退院◆
 手術の翌々日の朝に退院。この頃には食事の不自由さも少しましになっていた。なるほど、このタイミングで退院なのは、ちょうどよいのかも。
 退院したら解放感でいっぱいになると思っていたら、意外にそうでもなく、もうしばらく病院にいて、特に食事の世話をしてほしいなあという気持ちもあった。普通に食べられないので不安だったのと、看護師さんたちのお陰で居心地がよかったのと、両方だろう。

◆術後の経過◆
 手術、なめてました。抜歯の延長くらいの簡単なものだと思っていたら、思いのほか傷が深い。食事が不自由なのは、本当にストレスだった。
 これを書いているのは、退院後2日、術後4日目の夜。今日は仕事も行った。だんだん食事も楽になってきたが、まだ普通には食べられない。
 麻痺やしびれなどの後遺症がいまのところないのはありがたい。神経を傷つけずに、上手に摘出してくれたのだろう。

◆まとめ◆
 病棟に体を動かせる場所を作るとよいと思った。口腔外科という性質上、若い患者や首から下は元気そうな患者が多かったので、可能な範囲で運動できるようなスペースを作れば、社会復帰も早まるのではないだろうか。ウオーキングゾーンとストレッチゾーンの設置と、リハビリスタッフの配置を望みたい。
 今回は人生初の入院、手術、全身麻酔だった。すすんで経験したいことではないが、命に別状のない病気で入院できたのは、気楽でよかったかな。
 看護師さんの、白衣の天使というたとえにも大いに納得。こりゃモテるだろうなあ。あまりにモテすぎると業務に支障が出るだろうし、かといって線を引きすぎると
「あそこの看護師、態度悪いで」
と言われるだろうし、案配が難しい商売やねえ。

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2025年7月27日日曜日

【案の定、全くダメでした…】元滋賀のおっさんランナーのランニング週報:2025年7月21~27日の記録

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

◆総 評◆
 一時的に滋賀に帰ってきているときに、猛暑が重なった。「今週はまともに走れないかも」と思っていたら、その通りになった…。
 週間走行距離は23 km。

◆閾値走◆
 在宅勤務後に閾値走。いつもの、85~90%で10 kmだ。
 18:30に走り始めても、まだ全然暑かった。4 kmで早くも心拍数がドリフトしはじめて、4:30も切ってしまった。
 心拍数はうまく収まったが、ちゃんと練習になっているのだろうか…。

閾値走になっているのだろうか。心拍数は上がっているが

◆まとめ◆
 あまりの暑さで、日中は走れない。それに加えて、滋賀に帰ってきたので家のことをしたいとか、大阪まで出勤すると走る時間がないとか、実家に親の様子を見に行ったりとか、いろいろな理由で、全く走れなかった。
 しかし、体はそれなりにしんどくて、無理して走るとやられてしまいそうな感覚はある。そんなこと言ってないで、しんどくても炎天下でも、体にむち打ってもう少し走るべきなのだろうか。

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2025年7月22日火曜日

【猛暑とはいえサボりすぎ】元滋賀のおっさんランナーのランニング週報:2025年7月14~20日の記録

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

◆総 評◆
 週前半は雨のため、週後半は猛暑のためしっかり走れず、ダメダメな1週間だった…。
 週間走行距離は36 km+バイク24 km。

◆インターバル走◆
 火曜は台風通過で大雨の予報。ところが、在宅勤務後に雨がやんだのでちょっとジョグするつもりで外に出たら、しっかりやんだのでショートインターバルを実施した。
 1セット目が終わったところで、案の定、大雨が降ってきて終了となったが、1セットだけでもできてよかった。けっこうスピードが出てた。足が速くなったんやろか(笑)。

80秒を切れた

◆閾値走◆
 木曜の在宅勤務後に、いつもの85~90%の強度で10 kmの閾値走。仕事後にしては心拍もすぐに上がり、いい感じでキープできた。アップダウンがいいアクセントになって心拍が上がるのかもしれない。
 ラスト3 kmはトラック。トラックだとペースが上がることがよくわかる。


◆ロングジョグ◆
 週末にロングジョグと思っていたが、あまりの猛暑に断念。滋賀に帰って息子の野球に顔を出したため、午前中に走る時間がとれず、午後はとてもじゃないがロング走はできないので、日が暮れてからちょろちょろ走っただけに終わってしまった…。
 野球に顔を出すと猛暑にさらされるのでかなりバテるのも、ロング走ができなかった理由の1つ。。ランナーの私よりも、野球に顔を出すお父さんたちのほうが、暑熱順化が進んでいるのにはびっくり。

全然ロングじゃない

◆まとめ◆
 雨やら、猛暑やら、野球やら、理由はいろいろあるが、これではいかんなあ。とはいえ、それなりにしんどく、無理して走るとヤバい感覚はある。しかし、昨年もそんな感じで夏にサボったら、秋にしっぺ返しがきたしなあ。
 どらくらい走って、どれくらい休むべきか、難しいな…。

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2025年7月14日月曜日

【2週分をまとめました】元滋賀のおっさんランナーのランニング週報:2025年6月30日~7月13日の記録

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

◆総 評◆
 ブログを書くのをサボっていたので、2週間分をまとめておく。2週とも予定のポイント練を消化できた。
 1週目の週間走行距離は49 km+バイク48 km。2週目は56 km+バイク48 km。

◆短距離インターバル◆
 2週とも、平日の仕事後に、トラックで(200-200-400)×2を2.5セット。相変わらず低調だが、心拍数もしっかり上がっているし、こんなものなのかなあ…。400 mで80秒を切りたい。
 スピード練には、近所に無料のトラックがあるのはありがたい。しかし、無料なだけに利用者も多く、最近は混みがち。あまり大人数で利用しないでほしいけど、それは言ってはいけないのだろうか。

2週目の2セット目。80秒切りたかった…

◆閾値走◆
 1週目の閾値走は、その前の週の日曜にやったので、この期間には1回だけ。
 なかなかペースも心拍数も上がらないパターン。ゆったりしたり、昼寝したりした後に走ると、副交感神経が優位になって、こういう状態になる気がする。この日は、仕事が終わって少しウトウトしたのがよくなかったのかも。

心拍数はうまくまとまった

◆ロングジョグ◆
 週末はロングジョグ。2週とも、鬼のような猛暑ではなく、わりに走りやすい日だった。
 1週目は環七を北へどこまで行けるかチャレンジで2.5時間。こっち方面も、まあまあ日陰で、信号も少なめで走りやすい。板橋区からは建物も減るので、川越街道あたりで折り返すのがよいかも。
 2週目は、前週よりもさらに気温が低くて走りやすかったので3時間。甲州街道をどこまで行けるかチャレンジしたら、調布市に入ったところで折り返しになった。もう少しいけると思ってたんやけどな。
 この季節にほぼ3時間走れたのはよかった。

7月に3時間走れたのはよかった

◆まとめ◆
 走行距離が短いのは、平日のジョグができないため。PCを持ち帰る必要があるので帰宅ランがしにくいのは痛い。バイク通勤で補えているとよいのだが。

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2025年7月1日火曜日

【抜く週なのに2回のポイント練】元滋賀のおっさんランナーのランニング週報:2025年6月23~29日の記録

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

◆総 評◆
 3週間、ポイント練を続けたので、今週は抜く週。しかし、前週にこなせなかったポイント練を月曜に、翌週分のポイント練1回目を日曜に実施したため、2回のポイント練が入った。
 週間走行距離は39 kmで、バイクはなし。

◆短距離インターバル◆
 月曜は、前週に飛んでしまった短距離インターバル。(200-200-400)×2を2.5セットで、疾走距離は4000 mだ。かっこいいメニューだが、遅い…。トラックなんだから、もう少し頑張らないと。

2セット目とはいえ、なんぼなんでも遅いような

◆閾値走◆
 日曜は、翌週分のポイント練を先取りして、閾値走。久しぶりにキロ4で6 kmをやってみた。キロ4はハーフのペースなので、閾値走としては遅いのかもしれないが、心拍数もきれいにマックスまで上がっているし、仕事後の夏場の練習ならこれでよいのだろう。
 ヤバい暑さを避けるために夜に走ったが、19時でもまだ明るい。1年で、最も日の入りが遅い時期なのかも。

きれいに心拍数が上がった

◆まとめ◆
 抜く週にしても距離が踏めていないような。いやいや、この暑さでは、無理に距離を踏むと負荷が大きすぎるような。でも、去年はそれで夏の走行距離が減り、走力が落ちてしまったような…。
 ほんと、この猛暑では、夏の過ごし方が難しい。

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2025年6月22日日曜日

【ポイント練が1回飛んだ】元滋賀のおっさんランナーのランニング週報:2025年6月16~22日の記録

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

◆総 評◆
 通院のため、ポイント練が1回飛んでしまった。それに加えて、週末のロング走も酷暑で短くなり、週間走行距離は48 km+バイク48 km。

◆短距離インターバル◆
 在宅勤務後にポイント練をしようと思っていたところに、ガーミンがVO2Maxという名の「3:40で2分×8本」を提案してきたので乗ってみた。
 1 km×5本のインターバルのペース(ただし調子のよいとき)で、約550 mだからいけると思ったのだが甘かった…。3:40を切れたのは3本だけとは情けない。

3:40を切れたのは真ん中の3本だけ…

◆ロングジョグ◆
 土曜はロングジョグ。急に気温と湿度が上がり、がっつり走るとヤバい日なのは明らか。目標2時間半、最低2時間で走り出した。
 案の定、40分でクラクラし始め、60分で水を補給し、折り返した。最低の2時間を走るのがやっとだった。

2時間が精一杯

◆まとめ◆
 酷暑で距離が落ちた。昨年もそんな調子でサボっていたら、秋冬にそのつけが回ってきた。無理に距離を追い求める必要はないとはいえ、走った距離は裏切らないのも事実。なんとか距離を踏む工夫をしていこう。

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2025年6月15日日曜日

【今週も3点セットを消化できた】元滋賀のおっさんランナーのランニング週報:2025年6月9~15日の記録

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

◆総 評◆
 今週も、閾値走、短距離インターバル、ロングジョグの3点セットを消化できた。
 週間走行距離は73 km+バイク24 km。

◆閾値走◆
 今週も、在宅勤務後に85~90%で10 kmの閾値走。
 かなり頑張って走っても、心拍数がなかなか上がらないパターン。仕事後にアップ不足のときにこうなることが多い。
 そういうときは、ペースも遅いのが普通だが、この日はわりに早かった。


◆短距離インターバル◆
 これも在宅勤務後に実施。(200-200-400)×2を、前回より0.5セット増やして、2.5 セット頑張った。疾走距離は4000 mだ。頑張っているつもりでも、2セット目はかなり落ちる。
 短距離走をトラックでやれるのはありがたい。

2セット目はだいぶ落ちる…

◆ロングジョグ◆
 土曜に、雨の前に3時間走。目標3時間、最低2時間半のプランだ。
 環八を南にどれだけ行けるかチャレンジしたら、折り返し近くで砧公園に到着。とてもよい公園だった。1周したところで、先週の反省を生かして給水し、もう1周して折り返した。
 帰りのほうがスムーズで、3時間に到達しなかったのはあるある。土地勘がついてきたと、前向きにとらえたい(笑)。

帰りのほうが5分早かった

◆まとめ◆
 2周連続でポイント練3点セットをこなせた。東京単身赴任生活もだいぶ慣れてきて、ランニングのペースも掴めてきた。
 つなぎジョグが少し足りないのは気になるが、自転車通勤で補っているということにしておきたい。

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2025年6月8日日曜日

【クラクラになって危なかった】元滋賀のおっさんランナーのランニング週報:2025年6月2~8日の記録

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

◆総 評◆
 抜く週からのポイント練1週目。閾値走、短距離インターバル、ロング走の3点セットをこなせた。
 週間走行距離は62 km+バイク24 km。

◆閾値走◆
 月曜に閾値走。仕事後のわりには、まずまずペースも上がったか。休み明けで、フレッシュだったのもあるだろう。
 7 kmまで周回コース、残り3 kmをトラックで走った。トラックはペースが上がることがよくわかる。


◆短距離インターバル◆
 ショートインターバルの日に、ガーミンが40秒×8本を提案してきたので乗ってみた。3:15のペースで40秒だから、200mちょい。それならいけると思ったが、甘かった…。
 「ペースが遅いです」と注意されなかったので設定ペースはクリアできていると思ったら、クリアできていなかった。4本目で気づいて、5本目からは頑張ったが時すでに遅し。ていうか、最初から頑張れという話やな…。


◆ロングジョグ◆
 ロング走をしようと思っていたところに、ガーミンが長距離走を提案してきたので乗ってみた(今週2回目)。キロ5分で80分の指示。その通りに80分走って、そこで折り返して、後半はペースフリーで戻ってきて、160分程度の計画。
 前半はほぼ指示通りに走れた。後半は2時間あたりでクラクラしてきたのでスポドリを補給。脱水症状2歩手前だった。少し休んでからゴールへ。
 曇っていたので大丈夫と思っていたが、危なかった。湿度が高かったのと、暑熱馴化が進んでいなかったためだろう。小銭とかカードは必須やね。



◆まとめ◆
 梅雨前に、まずまず普通に練習できたかな。週明けは梅雨入りが濃厚。天気を見ながらやっていこう。

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2025年6月1日日曜日

【さっそくの抜く週】元滋賀のおっさんランナーのランニング週報:2025年5月26~6月1日の記録

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

 ポイント練に復帰して3週間経ったのと、滋賀に帰る用事があったのとで、今週は抜く週。

◆総 評◆
 週間走行距離は33 km+バイク24 km。抜く週にしても少ないような…。
 5月の月間走行距離は221 km+バイク90 km。バイクをどれくらいの運動量と見積もればよいのかわからないが、ランニングのざっと半分とすると、実感となんとなく合うような。

◆通勤バイク◆
 片道約12 kmを週に2~3回往復している。止まっている時間も合わせて、片道40~45分ほどになる、だいぶ慣れてきて、ひと息でいけるようになってきた。あまり急がず、安全運転を心がけよう。

◆帰宅ジョグ◆
 バイクと同じ道のりを、走って帰った(2回目)。荷物を背負って12 km走ると、つなぎにはならないかな。

◆まとめ◆
 抜く週にしても、あまりにも抜きすぎたかもしれないが、週末は滋賀に帰っていたし、仕方なかろう。ポイント練にも復帰したことだし、6月は頑張ろう。

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2025年5月25日日曜日

【ポイント練再開】元滋賀のおっさんランナーのランニング週報:2025年5月12~25日の記録

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

 びわ湖マラソン後ののんびり期間と、転職して東京単身赴任になったバタバタが重なり、しばらく走れていなかったが、新生活にも慣れ、ペースも掴めてきたので、ポイント練とブログを再開しようと思う。できる範囲で、走ったり、ブログ書いたりします。

◆総 評◆
 先週からポイント練を本格的に再開した。先週、今週とも、短距離インターバル、閾値走、ロングジョグの3点セットを消化できた。
 週間走行距離は、先週は41 kmとバイク10 km。今週は63 kmとバイク55 km。先週は仕事の関係で、ジョグが全くできなかった。

◆インターバル走◆
 春先恒例の、短距離インターバル。先週も今週も、(200-200-400)×2を2セット。疾走距離は3.2 kmだが、なかなかのキツさだ。こういう練習をするのには、近所に無料のトラックがあるのはたいへんありがたい。
 しかし、去年よりだいぶ遅くなっているような…。

これで1セット

◆閾値走◆
 いつもの、85~90%の強度で10 kmの閾値走。1回はアップダウンのあるコースだったので、タイムは遅くなり、心拍数は上がった。
 これもトラックでやってもよいのだろうが、何周もぐるぐる回るのは、飽きるし、脚に負担がかかりそうで…。使い分けよう。

遅いわりには心拍数が上がった

◆ロング走◆
 先週は昼に用事があったので、控えめに120分。ランチ会の前に、ちょうどよい腹ごなしになった。
 今週は都内の幹線道路を180分走った。東京は高い建物が多いので、太陽の位置にあわせてうまくコースを設定すれば、それなりに日陰を走れそうだ。信号が多いのは仕方ないかな。
 この日はお巡りさんがたくさんいた。何か行事でもあったのだろうか。

一番上がロング走

◆まとめ◆
 今週は、金曜の昼休みに短距離インターバルをやって、夜は仕事で講習に参加して、土曜の朝にロング走をしたら、午後はバテバテになってしまった。動く気力が湧かず、2回も昼寝した。こんなの初めてだ。年を考えて、過負荷にならないように気をつけよう。

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2025年4月29日火曜日

50歳を過ぎて東京の会社に転職して単身赴任となりました~50代の転職体験記~

 関西で52年生きてきたオッサンが、東京に転職して単身赴任することになった。家族構成は父(52歳)、母(年齢非公表)、娘(高3)、息子(中3)の4人。
 3月に転職してから約2カ月が経った。ようやく余裕が出てきたので、経緯をまとめておく。

◆転職決断まで◆
 前の会社には20年以上勤務していて、定年までいるつもりだった。しかし、新規事業が大コケして、業績が急降下。「♪まっさかさーまーにー」な急転落ぶりだった。
 業績が悪くなると、社長の機嫌も悪くなり、パワハラも横行しはじめた。社長の独断で始めた新規事業が失敗した責任をとる姿勢も見られず、社員のやる気も「♪まっさかさーまーにー」落ちていった。
 そして、2024年の5月に「夏期賞与なし」が発表された。さらには、期末の8月に「君の基本給を下げようと思ってる」と脅されたときに、転職活動をはじめることを決断した(結局は下げられなかったのだけど)。

◆転職活動◆
 最初は関西圏で転職先を探したが、数が少ない。これはいかんと、単身赴任覚悟で希望勤務地は全国に広げた。しかし、書類での落選が続き、「50代の転職はやはり無理か…」という気持ちになってきた。
 このタイミングで、エージェントサービスを使ってみようと思い立った。担当のエージェントは若いお兄ちゃんで、正直、それほど親身に世話してくれたわけではない。しかし「50代でも大丈夫」という言葉には勇気づけられたし、「とにかくたくさん応募して、詳細は書類が通過してからじっくり考えればよい」というアドバイスは役に立った。「書類も通過してないのに、通った後のこととか想像してる人がいるんですよねえ。その前に、まずは書類が通らないと」と指摘され「それ、おれのことやん」と目から鱗状態だった…。
 それまでは「転職先をちゃんと見極めなくては」という気持ちが強く、慎重に応募していたが、そこからは、スキルを生かせて年収が見合うところにはどんどん応募した。そして、12月に初めて書類が通って、面接に進んだ。転職活動開始から約5カ月だった。その間、職務経歴書を何度か書き直したりして、自分を見つめ直すよい機会になったような。長かったが無駄な遠回りではなかったように思う。
 そして、その後すぐに、また別の会社も書類選考を通過した。
 また、冬期賞与の発表は転職活動中だった。いったんは「冬期賞与もナシな」だったのが撤回されたのはよかったが、支給額は5万円…。今年の年収は、ピークから比べると20%ほどのマイナスになりそうだ。転職したい気持ちがさらに強くなった出来事だった。

◆転職決定◆
 面接に進んだ二社は、どちらもとんとん拍子に進んだ。一社からは12月半ばに、もう一社からは仕事納めの日に内定をもらった。エージェントから「書類通過が最大の難関です」と聞いていた通りだった。
「あなたと一緒に働きたいです」という言葉は、リップサービスが混じっていても、嬉しいものだ。弱っていた心を元気にしてもらった。
 最終的には、2つ目に内定をもらった会社への転職を決めた。年末に家族や親しい同僚には報告し、仕事始めの日に社長に退職を告げた。

◆家族の反応◆
 転職活動をしていることは、家族には伝えていなかった。「結局、転職しない」というオチになったときに、かっこ悪いのと、不安を与えることを避けるためだった。
 転職したいと話すと、驚いてはいたが、特に反対はなかった。会社が危ういことは伝えていたからだろう。
 単身赴任についても大きな反対や心配はなかった。娘が
「お父さん、洗濯はどうすんの?」
と聞いてくるので、心配してくれているのかと思ったら
「そうじゃなくて、いまお父さんがこの家でやってる洗濯は、誰がすんの? まさか、全部わたしに降りかかってくるわけ?(怒)」
と自分のことを心配している始末…。息子も妻も
息子「おれの野球の父当番、誰がすんの?」
妻「それって、家事ワンオペってこと?」
と、みんな自分の心配に忙しいようで、父の1人暮らしの心配など、誰もしてくれないのだった…。

◆新生活準備◆
 1人暮らしの費用はなるべく安く抑えたい。それには家賃をいかに下げるかが重要だ。検索したら、安い物件は出てくるが、そういうとこに決めてよいのか不安だ。安いにはそれなりの理由があるのだろうが、それは知ったうえで決めたい。
 困っていたところに、義弟(妹の夫)が知り合いの不動産屋さんを紹介してくれた。この人が
「安い物件は理由がある。その理由がよくわからない物件はやめておきましょう」
というスタンスで、物件を絞り込んでくれた。この人のお眼鏡にかなう物件はものすごく少なく(ハードルが高い)、結局、この人が管理する物件に決めた。自分の管理する物件なら、安い理由もちゃんとわかっているので、お勧めできるということだし、こっちとしてもそのほうが安心だ。
 引っ越しには、業者は使わず、宅配便でダンボール10個を送った。また、前の会社の東京事務所がちょうど閉鎖になり、不要物をいただけたのは超ラッキーだった。不動産屋さんといい、人の縁に恵まれてますなあ。ありがとうございます。

◆転職先◆
 新しい職場は人間関係も就労環境もホワイトで、暖かく受け入れてもらえた。特に、社長直々に単身赴任への対応をしていただけたのは、たいへんありがたく、頑張ろうという気持ちになった。定年まで時間は短いが、何か残せればと思う。
 人間関係や勤怠についてはホワイトだが、その代わりオンタイムの縛りはまあまあ厳しい。メリハリがあって、よいのかな。

◆まとめ◆
 新生活が始まって、はや2カ月。ようやくブログを書く余裕も出てきた。自炊もランニングもペースがつかめてきて、先日は10 kmの大会にも出た。東京でのランニングについては、また別にまとめたい。
 会社の配慮で、GWを含めて半月間、滋賀で過ごすことができる。ありがたいことだ。

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2025年3月15日土曜日

びわ湖マラソン2025走りました!~滋賀のおっさんランナーのランニング週報~

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

◆総 評◆
 いよいよびわ湖マラソン。昨年(2024)に自己ベストを出した、相性のよい大会だが、今年は走力がはっきり落ちていて、PBは難しい。サブ3を目標に走った。

◆大事件◆
 なんとなんと、3月から東京の会社に転職することになった。まさかこの年になって一人暮らしとは。この顛末は、別にまとめたい。
 というわけで、2月末に東京入りして身の回りのものを整え、新しい会社で1週間仕事して、土曜に滋賀に帰って、日曜に大会というハードスケジュールになった。直前の1週間はあまり走らなくてよいし、ちょうどよかったのかな。
 慣れない環境で精神的にも落ち着かず、カーボローディングするのも忘れるほどだった。こんなに準備不足の大会は初めてだ(笑)。

◆スタートまで◆
 会場で友人と待ち合わせた。あれやこれや話していると、あっという間にスタート時刻が迫ってくる。荷物を預けた後にトイレに行けたのはよかった。
 昨年より持ちタイムは速くなっているのに、今年はなぜかAブロックスタート(昨年はS)。なんでやねん。
 Aブロックの先頭にいるサブ3のペースメーカー(PM)について走る予定だ。

◆序 盤◆
 最初の1 kmは混雑で遅くなった。PMも見えなくなってしまったが、これは仕方ない。最初の5 kmは21:34。サブ3ペースはキープできた。
 イオンで折り返すと向かい風。今日は真西からの風だ。北風よりはだいぶいい。5~10 kmは20:37で最速。あるあるやな…。次の5 kmは21:01。まだ余裕もあり、順調だ。
 13 kmあたりで娘の友人がボランティアで交通整理をしてくれていた。「●●のお父さん、頑張って~」的な声かけを期待していたが、それはなかった(笑)。

◆中 盤◆
 さざなみ街道に入ると、ちょうどよいペースで走っているメディカルランナーを発見したので、後ろについた。4:12~15のラップを正確に刻んでくれて、ずいぶん助かった。
 30秒ほど前にPMが見えるが、まだ集団が大きい。集団のトラブルを避ける意味で、追いつきたい気持ちを抑えて、少し離れて走ることにした。
 15~20 kmは21:04、ハーフはほぼ89分、20~25 kmは21:13。いい感じだ。

◆終 盤◆
 1回目のびわ湖博物館を過ぎ、だんだんきつくなってくるが、これくらいは当たり前。このままいけそうな感じがしてきた。
 25~30 kmは21:19。30 kmを過ぎてメディカルランナーさんのペースが落ちてきたので前に出た。ありがとうございました。
 33 kmの折り返しで、予定通り娘と妻が待ってくれていた。元気100倍アンパンマン状態になり、ラスト10 kmでペースアップ。ありがとう。元気出たわ。30~35 kmは21:06。
 SGHのトラックを過ぎると、最後は追い風基調。いつも通り、ラスト5 kmは必死のパッチでペースを維持し、35~40 kmは20:54。
 40 km手前でPMに追いつき(集団はすでに解散していた)、ちょうど2:58でゴール! もうサブ3はできないかもと思っていたのでうれしかった。

サブ3奪還!

◆まとめ◆
 夏の走り込み不足で走力が落ち、さらに転職と引っ越しのすったもんだで準備不足。サブ3は厳しいと思っていたが、奪還できてよかった。
 前述のように、3月から新しい環境になった。時間的にはともかく、すぐ近くに無料のトラックがあるなど、環境的には恵まれている。もう数年はサブ3を維持したい。
 東京から滋賀の家に帰って走ることができ、家族にも応援してもらえて、目標達成のおまけ付き。ホンマ楽しかった。

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2025年2月23日日曜日

【びわ湖マラソン2週前】滋賀のおっさんランナーのランニング週報:2025年2月17~23日の記録

 2017年7月、45歳を目前に、突如ランニングを始めた。現在は52歳。
 2020年12月の神戸トライアルマラソンでサブ3を達成! 自己ベストは2024年3月のびわ湖マラソンの2時間54分台。

◆総 評◆
 びわ湖マラソン2週前。徐々に調整期間に入ってきた。
 週間走行距離は81 km。

◆インターバル走◆
 5 km×2本。インターバル走というよりは、分割走というほうが正しいのかも。
 かなりの風で、前半が追い風。冬の西北風だ。結果は19:19→20:04。
 1本目は追い風の割りにはペースが上がらなかったが、最後は3:47。アップ不足だったか。2本目はキロ4が精一杯。向かい風が強すぎると、心拍数もいまいち上がらないことを発見した…。
 走ったのはびわ湖マラソンのコース。本番がこんな風やったら、えらいこっちゃ。

2本目の向かい風の強さがわかるだろうか…

◆ロングジョグ◆
 土曜に、息子の練習の合間にロングジョグ。2時間走りたかったが、練習が終わってしまい100分まで。仕方ない。
 太陽が丘の中や外をぐるぐる走っていたら、獲得標高が350 mになった。薄底(RC5)でクロカン走だったので、脚にきた。いいトレーニングになったかな。

クロカン走みたいになった

◆ビルドアップ走◆
 ロングジョグが短めになったので、それを補うべく、翌日にビルドアップ走。ジョグ5 km→4:35で5 km→4:10で5 kmの設定。ほぼ設定通りに走れた。

トータルはこんな感じ

◆まとめ◆
 走行距離が増えているのは、通勤がなく、歩く時間が減っているため。少し負荷を落としつつ、いい1週間だったのでは。
 びわ湖マラソンまであと2週間。いよいよ調整期間だ。

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2025年2月20日木曜日

【お父さんの週末料理】2025年2月の料理記録~期間限定で主夫やってます~

 わが家では土曜、日曜の晩ご飯は主に父(私のこと)が担当している。そのメニューを絶賛(?)公開中。
 家族構成は父(アラフィフ)、母(年齢非公表)、娘(高2)、息子(中2)の4人。

 2月は事情があって主夫生活。ほぼ毎日、私がご飯を作っている。ざっとまとめておきます。

 2月2日(日) 
 節分は巻き寿司と鰯。作り置きに唐揚げ。

尾頭付き

具がはみ出た
作り置き

 2月4日(火) 
 春巻きを20本、揚げ揚げした。

これで半分

 2月7日(金) 
 塩鯖フィーレとジャンボチキンカツ。


 2月8日(土) 
 パスタにコーンシチューをぶっかけた。


 2月9日(日) 
 また鰯。安くて栄養満点。


 2月10日(月) 
 ソース物が食べたくて、焼きそば。


 2月11日(火・祝) 
 肉じゃがとハンバーグ。ハンバーグはちょっと焦げた。

ちょっと焦げた


 2月12日(水) 
 キャベツが安く買えたので、お好み焼き。


 2月13日(木) 
 サワラが旬だ。安くて美味い。


 2月14日(金) 
 手羽元のトマトポトフと照り焼き。バレンタインデーは関係なし(笑)。


 2月15日(土) 
 うどん、鮭の塩焼き、白身魚のフライ。


 2月17日(月) 
 鶏肉の炒め物と鮭の塩焼き。


 2月18日(火) 
 ケンミンの焼きビーフンをいただいた。カレー味と、だし醤油味。


 2月19日(水) 
 ミートスパゲティとハムカツ。バローのハムカツはなかなかイケた。


 2月20日(木) 
 ジャンボチキンカツ、鮭の塩焼き、麻婆ナス。写真はないが炊き込みご飯も作った。


【50歳を過ぎて人生初の手術・全身麻酔】唾石摘出術を受けました

 53歳目前の2025年7月末に、人生で初めて全身麻酔の手術を受けた。その顛末をまとめておく。 ◆唾石発見◆  転職を控えた今年(2025年)の2月に、行きつけの歯医者さんからクリーニングの案内が来た。東京に転職する前に、挨拶をかねて訪れたら、歯科衛生士のお姉さんに 「...