2011年10月6日木曜日

知ってるようで知らなかったノーベル賞 その1

 自然科学に関わっている者の一人として、科学をわかりやすく伝える文章をブログに載せてみた。この「ノーベル賞」シリーズは、友人に「おれ達に科学をわかりやすく伝えるようなものを書いてみろ」と促され(脅迫され?)書いたものを、ブログに載せるために改稿したものである。
 思いこみや調査不足による勘違いもあるかもしれないので、お気づきの方はご指摘いただければ幸いである。


序章
 現代は科学の成果でいろいろなことが実現されているのに、あまりに何も知らないのはマズくないか? そこの君もケイタイやパソコンを使ってるし、テレビだって、科学の力を借りて番組が日本全国に届けられているわけだ。それなのに、そんなに無関心でもええんか?(別にええという気もするけど)。
 それに、そもそも科学ってけっこう面白いと思うのだがどうだろうか。私が感じる面白さは、「次から次に謎が現れる」的なワクワク感と「パズルのピースがあるべきところにカチっとはまる」的な気持ちよさだろうか。まあ、みんながそれぞれの面白さを感じてくれれば、それが一番なのだろうけど。
 と偉そうなことを書いたが、そういう私も科学についてそれほど知っているわけではない。みなさんに伝えることによって、私自身も勉強していくというわけだ。

 さて、記念すべき第1回のテーマは「ノーベル賞」である。「ノーベル賞くらいオレでも知ってるよ」という声が聞こえてきそうだ。しかし、ノーベル賞の何をご存じだろうか? ノーベルさんは、その昔、ダイナマイトを発明した人で、その儲けを使ってノーベル賞が作られた、ということくらいではないだろうか?(それすら知らないってことはないですよね…)。ノーベル賞には何賞があるのかご存じだろうか? ノーベルさんはもうこの世にいないけど、じゃあ誰がノーベル賞を決めているのか知っているだろうか? そういうことを、順番に説明していこうではないか。

1章 ノーベル賞の始まりとその歴史
 ノーベル賞は1901年から始まった賞であるが、それはアルフレッド・ノーベルが亡くなってから5年後のことであった。アルフレッド・ノーベルとは、もちろん、ノーベル賞の創始者である科学者だが、いったいどういう人物だったのだろうか。まずはそこから説明していこう。
 ノーベルは、1833年にストックホルムで技術者の家庭に生まれたスウェーデン人である(スウェーデンといえば、自動車のボルボや北極のオーロラなどが思い浮かぶだろうが、実は王国だということを知っているだろうか?)。その後、9歳のときに当時ロシアの首都であったサンクトペテルブルクに家族とともに移り、そこで教育を受けた。教育といっても学校に通ったわけではなく、兄弟とともに家庭教師から勉学を学んだ(ただしこれは、当時ではそれほど珍しいことではなかったようだ)。彼は、数学・物理・化学などの自然科学はもちろんだが、この時期に語学も熱心に学び、そのおかげで5カ国語を操ることができるようになった。この語学力は、後に大いに役に立つことになる。また、彼は自然科学の中では化学に興味を持ち、とくに力を入れて学習したといわれている。
 その後、彼はニトログリセリンという物質に出会う。これがダイナマイトの原料となる物質である。ただし、彼はニトログリセリンを作ったり見つけたりしたわけではない。この物質は他の研究者がすでに合成していた。ニトログリセリンに火をつけるとすさまじい爆発を起こすことはすでに周知の事実だったのだが、安全に運ぶのが難しく、爆発させたいところで、爆発させたいときに爆発させることができなかったのだ。
 少し話はそれるが、ニトログリセリンは爆弾の材料以外にも使われていることをご存じだろうか。実は、ニトログリセリンは薬としても使われているのである。なんの薬かというと、狭心症・心筋梗塞などの心臓の発作を止めるための薬で、発作時にこれを服用すると血管が拡張し、発作が鎮まる。発作の特効薬として、今日も使われている薬なのだ。
 そのニトログリセリンを爆薬の原料として実用化したのがノーベルだった。彼はロシアからスウェーデンに戻り、ニトログリセリンの実用化の研究に邁進した。1864年には実験中に大爆発を起こしてしまい、その事故で弟を亡くしている。しかし、そのような苦難を乗り越え、彼はニトログリセリンを安全に持ち運び、爆発したいところで爆発させる方法をついに見つけ出した。細かい技術は省略するが(説明しろといわれても、ちと困るというのが事実だが…)ニトログリセリンに二酸化ケイ素を混ぜると、液体のニトログリセリンがペースト状になり、持ち運んだり形を変えたりすることが容易になるのだ。彼はその物質を「ダイナマイト」という名前で特許申請した。このダイナマイトが莫大な利益を生んだことはご存じだろう。
 このダイナマイトの発明ばかりがクローズアップされるノーベルだが、他にもいろいろな特許をとっており、ダイナマイトだけで一発当てたという科学者ではない。また、経営者としても優れており、20ヵ国以上の国に90ヵ所以上の工場と実験所を持っていた。若いときに培った語学力が、こういうところで生かされたわけである。彼の優れた経営者感覚を示す一つの例は、彼の作ったが会社がいまでもいくつも残っていることだ。自ら研究して特許をとり、それをもとに会社を立ち上げ、会社を運営しつつ研究も続ける…。なんともマルチな活躍ぶりではなかろうか。
 そうして築き上げた莫大な資産を残し、彼は子供を得ることなく1896年にこの世を去った。遺言書を残して。そして、その遺言書の内容は驚くべきものであった。彼の遺産を、物理・化学・生理学医学・文学・平和の五つの賞に使えというものだったのだ。遺言の執行者には二人の若い科学者(Ragnar SohlmanとRudolf Lilljequist)が指名された。その二人の科学者が、遺言に従いノーベル財団を設立したのである。これが、現在まで続くノーベル賞の礎となった。
 以上のように、ノーベルは科学者というよりも技術者といえる人物だった。またまた、ちょっと話はそれるが、ここで科学者と技術者の違いについて少し触れておきたい。日本の大学にも理学部と工学部があり、理学部は科学者を、工学部は技術者を育てる学部だ。英語では、理学はscience、工学はengineeringである。理学は実際に使えるかどうかとは関係なく自然現象を追求する学問であり、工学は実際に使える技術を開発する学問というのが、両者の違いというか、本来の意味のようなものである。もちろん、理学と工学は密接に結びついており、その境界はあいまいではあるが、厳密にはこのような違いがある。ただし、最近の流れは実学重視であり、理学部での研究でも「なんの役に立つの?」という問いに答えられる研究が重視される傾向にある。
 「自然現象を通じて真理を追究する」という自然科学本来の目的は、いまや実現しにくいのかもしれない。役に立たない研究には、お金がおりてこないのだ。こういうように書くと「そんなことはけしからん」と感じるだろうと思うが、裏を返した書き方をすると「役に立たない研究に、みなさんの納めている税金が使われていますよ。それでいいのですか?」となる。そう問われて「別にいいですよ」と答えてくれる人がどれくらいいるだろうか。あなたはどちらの意見だろう。
 なぜノーベル賞というテーマなのに、こういうことを書いたのか。それは、ノーベル賞が、役に立つ研究を重視する傾向を強めている一つの要因ではないかと感じるからだ。ノーベル賞がそのような傾向を持つとするなら、その理由の一つは、ノーベルがいわゆる科学者ではなく、技術者だったからなのかもしれない。

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